“1960年代に入ってテレビジョンが家庭に侵入してくるのと並行して、贅沢な撮影所システムは壊れていきました。小さなカメラと無名の俳優を使えば、どんどん街中で撮影できるわけです。それは安上がりだし、だいいちとてもリアルでした。日本だけではなく、アメリカでもフランスでも、このあたりから映画撮影の仕組みが変わっていきます。作り手側も、いやおうなく物語ではなく現実を作品に取り込むことを目指すようになりました。僕が映画にのめり込んでいったのはちょうどこの頃です。ですから、当時の若者にとって古い映画はリアルでないように感じられました。現実そのものであることこそ映画の目指す方向だと単純に考えていたんですね。でも、映画表現というのはどうもそんな単純なものではないということが、昔の映画をつぶさにチェックしてみることによってだんだんわかってきたわけです。なんとか今でもそれを目指したいと思ってるんですが、まあ到底叶わないですね”
(Roadstead 黒沢清インタビューより)
黒沢清作品でほとんどの余剰なく作られたものが意外な場所で、唐突に登場した。
いくら作家性の強い監督と言ってもなんでもできるわけではない。ビジネス上の要請によって多くの余剰にまみれてゆく。人気俳優の起用、わかりやすいプロットの提出、特定のジャンルに当てはめたもの、人気のある原作の映像化。ビジネスの枷は時に作家性を際立たせるものにもなるが、枷をすべて取り払ったときにどれだけ純粋な作家性が見られるものなのだろうか?
『Chime』とはそうした枷を取り払ったような短編映画である。ここには有名な俳優を売りにすることも、明確なプロットもない。特定の原作もなくまったくの黒沢監督のオリジナル作品だ。本作は便宜的にホラーにカテゴライズできなくないのだが、それ以上に黒沢監督の映す恐怖がなぜ今日までモダンな力を持ち得てきたかを思い知らされる。
新興のブロックチェーン技術によるプラットフォームだから登場できた一作
純粋な作家性を映す短編を可能にしたのは、本作を公開する新興プラットフォームRoadsteadだからこそかもしれない。いわゆるブロックチェーン技術による新たなる映像販売を売りにしているプラットフォームであり、数量限定の映像を購入・レンタル・譲渡などを可能にしている。
背景を聞くとNFTビジネスのような胡散臭さを感じてしまうが、プラットフォームの運営会社はもともと映像業界向けにクラウドストレージサービスを展開していたところだ。ながらく映像業界と関わるうちに、業界の持つ問題を目の当たりにする。そうした問題解決の一環として、Roadsteadというプラットフォームを立ち上げたわけだ。
プラットフォーム立ち上げの初期こそ、先鋭的なコンセプトを押し出すプロジェクトが実行されるものだ。そこで黒沢監督による作品を売りにしている。コンセプトは作家個人をフォローする旨が語られている。
理由のない殺人と恐怖がもたらす今っぽさ
まさに『Chime』はそんな監督の作家性を推すプラットフォームだからできた、純粋な作家性の発露のように見える。
舞台は料理教室、主人公の講師を演じる吉岡睦雄は、まるでどこにでもいるような顔立ちで淡々と演じる。本作に登場する俳優はすべて同じように個人や個性がまったくない。日常のどこにでもいるような顔しかない。
そんな料理教室にてある日、受講生の一人が突然「頭の中からチャイムの音がするんです」と語り、包丁をのど元に突き立てて死ぬ。死を目の当たりにした講師は、その日から教室で、家庭で異様な出来事に遭遇するようになる。
本作は黒沢清のホラーが単なるJホラーブームみたいな流れで消費されず、30年近くに渡って現代的であるかを明らかにしている。
常に現代的と感じさせるのは唐突な暴力や殺人の描写だろう。殺人に至る背景がまったくわからない。しかしその唐突さの裏には、社会的な鬱屈や閉塞感が関係しているように見える。
鬱屈のなかで精神が追いやられ、いつ爆発するかがわからない感覚は作中で説明されてこない。それは観客を不安定にさせるだろう。だから幽霊が存在する前提があるホラーだとか、精神に介入するなんらかの能力が絡んだサイコスリラーだとか、既存のジャンルに当てはめることで不条理の理由にたやすい。
だが『Chime』にはそれがない。『回路』や『CURE』にあったジャンル分けゆえの、不条理を理解する(理解した気になれる)防波堤がない。ゆえに黒沢監督の恐怖がピュアに出ている。講師は本当に異常な出来事に遭遇したのが? それは現実だったのか? 40分弱の映画は答えをくれない。
もちろんどこまでが現実でどこまでは妄想なのかを考察することに意味はない。ただ現実社会で生きていくうえでの実態のしれない圧力やストレスにより、言葉にも出力できず、徐々に精神を崩していく人々の荒涼さを映しているだけである。その荒涼さはこれまでの黒沢監督作品でもお馴染みかもしれないが、ジャンルのない映画、顔のない俳優たちのおかげでより前に出ているのだ。
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