スタジオシステムが灰に消えたあとの路上映画録

葛西祝の路上を記録した映画についてのテキスト

二宮和也が本物の少年犯罪者に見えたとき『青の炎』

昨年末は自宅でテレビの特番を見ていた。新型コロナウィルスが感染を広げていることが不安で、年を取った親のことも考えて帰省せずに過ごしていた。

番組では、いよいよ嵐が活動休止することを押し出したものがいくつもあった。画面を眺めながら、嵐のメンバーが40代にも近くなっているのに、ずっと最初に見たころみたいに若く……いやメンバーによっては幼いとすらいえるムードが変わらないことに危ういものを感じた。

自分はファンじゃないけれど、嵐はテレビやネットニュースで彼らの活動はいつも視界に入ってはいた。デビューから今回の活動休止までを、比較的リアルタイムで見てきたほうだ。

だけど彼らは年を取っていないように見える。SMAPやV6、TOKIOといったグループと比べて、嵐はほとんどイメージが変わらない。先述のグループが結婚から事件を起こすことまで、なんらかの人生の段階を踏む出来事を越えて年を取っていく姿を考えると、みんな賢しらな子供のままみたいだ。

特に二宮和也がそうだ。幼さと危うさがずっとそのままだ。結婚してもいるのに、10代の頃に初めて観た時のイメージは変わっていない。年を取ることにまるで無縁の子供みたいに見えながら、気難しく、瞬間的に怒りを見せかねない近寄りがたさがある。

同じころ、年齢を重ねることについて好対照なニュースがあった。松浦亜弥が第三子を授かったことだ。W-inds.橘慶太と結婚し、芸能界から退いてからはどうやら主婦として暮らしているという。アイドルをやめてから、ある種の若さから手を切れているように思えた。彼女が急速に年を取っていく姿は、逆にどれだけ全盛期が短かったかを感じさせるものだった。

二宮と松浦という対照的なふたりの今を見たあと、年明けにちょうどふたりが主演した『青の炎』がNetflixのラインナップにあるのを見つけた。

これは2003年に公開された映画だ。嵐がまだ事務所に期待されたヒットが生み出せず、苦しんでいた頃で、松浦亜弥が全盛期を迎えていた頃だった。10数年ぶりに見なおすと、ふたりの危うい部分がそのまま映っているのがよく見えた気がした。

表情が抑え込まれた主演

 青の炎 : 角川映画

撮影された2002年当時、19歳の二宮と16歳の松浦がその時期だけにしかない危うさを持っていたことを、監督の蜷川幸雄は見抜いていたのだろう。

貴志祐介による原作小説は17歳の少年が人を殺す物語である。高校生の櫛森秀一は美術部に所属しているけど、全然顔を出さない部員だった。彼は家庭に問題を抱えていたからだ。父親が家を出てから、義父の曽根が家に住み着き、何も仕事せず母と妹を追い詰めている。警察に頼んでも、曽根を引き剥がせない現実を前に、秀一は殺すことを決める。秀一が思い詰めていくのを、同じ美術部の紀子は静かに見つめていた。

主人公に二宮と松浦のふたりがキャスティングされることで、作品のリアリズムが変わってゆく。傷ついた少年が少女に救われるみたいな話じゃない。それどころかふたりは距離があいたままで、微笑むことも、泣くこともない。

冷たいアイドル映画

ジャニーズとハロープロジェクトにて気鋭のアイドルであるはずのふたりが、『青い炎』ではほとんど表情を見せない。暗く冷たい空気が映画に満ちている。冷たさは、北野武の映画にもよく似た、青い映像と海、自転車といったモチーフから感じるのも確かだが、決定的な空気は二宮と松浦ふたりの危うさから生まれている。

蜷川が専門の俳優ではなく、アイドルを起用するのは演劇でも見られることだ。アイドルを起用することは、彼の商業的な戦略もあるのかもしれない(本当にものを作り続けていくとき、その計算が抜けていると生き残れない)。でも彼のインタビューを読むと、それだけではない踏み込んだ意図があることがわかる。

アイドルってね、何ゆえにアイドルかというと彼ら彼女らに熱い視線を送る観客、あるいは大衆の欲望、ってものが集約された存在なんだよね。だから、優れたアイドルを被写体に選べばそのまま時代性も映るはず、と僕は思っているわけ。

復刻インタビュー/監督・蜷川幸雄が語った『青の炎』のティーン・二宮和也と松浦亜弥 より)

当時67歳を迎えていた蜷川は「正統なるアイドル映画を撮りたい」と語っていたそうだ。インタビューで語られたことは、敷衍してみれば純粋な文学や演劇よりも商業媒体のほうがある種の文学性や芸術性を発揮できるのではないか? ということを簡単に説明している。(アニメや漫画、ゲームみたいな媒体の、一部の作品にそうした評価を見出すことにも似ている。)

蜷川は俳優に厳しい演技指導で知られているが、本作の二宮と松浦にはほとんど指導は飛ばなかったそうだ。これはふたりの演技力が優れていたから、というよりも、本人の存在そのものを映したかったのだと思う。

19歳の二宮が持つ時代性

二宮と松浦の距離と緊張こそが、監督が見出そうとした時代性にちがいない。『青い炎』の原作が書かれたのは1999年、少年犯罪がメディアで活発に取り上げられていたころだった。神戸少年犯罪の記憶はまだ残っており、1年後にバスジャック事件が起きるころである。

映画版が公開した当時を考えると、少年犯罪の報道のブームも落ち着いてきたころだ。しかし少年犯罪に見られる匿名さと、幼さ、突発的な暴力性、そして誰とも本当に関わり合うことのない犯人という印象はこのころに醸成されていた。

そこで二宮が少年犯罪者の主人公に選んだということは、彼にそうした印象を見出していたのだと思う。作中の彼の顔には、神戸少年事件の犯人が学生証か、卒業だかの写真をネット検索で見つけてしまった時みたいな冷ややかさがある。

『青い炎』では二宮の提案もいくつか演技に入っているという。そのなかで最も重要なシーンにて “誰とも本当に関わり合うことがない”印象を、蜷川ではなく本人が持ってきたという話はわかるような気がした。紀子役である松浦とのシークエンスである。

 

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すでに義父を殺めたあと、先行きがわからなくなってしまった秀一の家に紀子が訪れる。松浦の演技はバラエティやライブに出るときみたいな表情はない。当時から大人びていた人だったけれど、映画の中でその印象は達観して、他人を見透かすような存在に変わる。紀子は秀一を見透かしているみたいに関わる。そのことに秀一はいら立つ。

ほんの少しの諍いをへて、ふたりは海沿いの道を歩き、分かれるために駅へと向かう。改札口の前で秀一は犯罪を口にする。何も言えないまま、時間が過ぎて行く。

映画の終盤に用意されたこのシークエンスは、もっとも印象深い場面には違いない。このシークエンスは当初キスシーンが予定されていたらしいが、二宮が “ここでそれはありえないんじゃないか ”という提案によって変わったらしい。*1

その結果、本質的に誰とも本当に関わり合うことない少年犯罪者という印象を完結させている。ディスコミュニケーションがそのまま映され、二宮、松浦ふたりの本質的な顔が見えたように思えたのだ。

映画から17年後の現在、ふたりの本質的な顔はあまり変わっていないようにも思う。二宮の気難しさと幼さは、後にイーストウッドの『硫黄島からの手紙』にキャスティングされるところまで飛躍した。おそらくイーストウッドは『青の炎』にて二宮の思い詰めた少年犯罪者らしさを、第二次世界大戦時の日本人だと見出したのだと思う。そして松浦の当時から達観した大人びたところは、いま芸能界から手を引き、ほとんど公には顔を出さないところに現れている気がした。

 

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*1:ちょっとエビデンスを提示できず、噂話程度に納めてください