『凶気の桜』ベースを持たなかった時代の窪塚洋介

f:id:EAbase887:20180412212921j:plain

凶気の桜』(2002)

丸山 僕は映画の現場を知りませんが、監督はそれこそ“孤高”で、すべて監督が決めるというイメージがありますが。
成島 もちろんそういうタイプの監督さんもいます。でもそれは、撮影所がしっかりしていた時代はできた。昔、大先輩に教わったんだけど、昔の撮影所のイメージはピラミッド型。監督が上で、役者、その下にスタッフがたくさんいたので、監督が変わろうと撮影所が機能して、映画は成立したんです。今は逆で、監督は下に居る。つまり“逆三角形”です。「監督や主役がぐらついたら、全スタッフがぐらついてしまう。これを覚えとけ」って言われた。但し安定するためには、スタッフがしっかりして上から押さえてくれることは大事なんですが。やはりどちらにあっても変わらないのは“人”。今や撮影所システムが崩れてしまった 。(成島 出監督 ~映画への熱き想い~より)

 

今回はインディーの路上映画とは違うけれど、現代のヒップホップとの絡みが少なくない日本映画の先達ということで『凶気の桜』。 

高校の時に初めて観て、日本語のヒップホップをはじめて認識したのはこの映画からだったか。歌詞(リリックという言葉すら知らなかった)の強さ、メロディやコード進行による感情移入と物語性に牙を剥くむき出しのビートを背景に真夜中の渋谷で白装束の3人がチーマーを殴りつける。

そこには渋谷という街の現実を映しながら、同時に不気味な非現実性が宿っている。ヤクザ・右翼・チーマーの中で己を示すグループ、ネオ・トージョーの物語という、現実世界と別に構築された映画ならではの作品世界の非現実さではない。

それは当時23歳、ひとつのピークを迎えた窪塚洋介の持つ非現実さである。窪塚洋介の非現実さはルーツやベースというものが見当たらないところから生まれている。

続きを読む

秋葉原の事件が目覚めさせた現実を誰も見つめることはない『ぼっちゃん』

www.youtube.com

映画は監督、俳優、撮影スタッフなどの極めて特殊な人的資本を労働集約的に用いる生産部門と、劇場という資本・土地集約的な形態を持った流通部門からなっている。特殊な人的資本と資本を遊休させないのは、経済合理性から発する当然の要求である。

ある質の、その内容もある程度予想できる映画を常に提供できれば、製造部門としても、流通部門としても、経営の安定を維持することができる。映画館は上映する映画が必ず必要で、映画制作会社にはそれを上映してくれる映画館がいつでも必要なのである。そのような要求に応じるものとして自然発生的に生まれたのが、ブロックブッキングとスタジオシステムである。ブロックブッキングとは特定の映画制作会社の映画だけを上映する映画館組織であり、スタジオはあるカラーとあるレベルの質を持った映画、プログラム・ピクチャーをよどみなく作り出すための組織である。観客の期待(必ずしも高い期待ではない) に応じてある質と内容の映画が、いつも決まった映画館で上映されていることが重要なのである。もちろん、そのようなシステムの中でも社運をかけた大作は作られていた。しかし、映画制作会社や映画館の経営を安定させるものはよどみなく作り続ける映画である。(PDF「映画:才能と資本を集めたベンチャー企業への変身を」より)

日本映画は自覚的に渋谷や新宿を被写体に選択してきた。しかし秋葉原ばかりは、いまだにその現実を映すことをできていない。

今年2018年で秋葉原通り魔事件から10年が経過した。あの衝撃を題材に、いくつかの日本映画が撮られている。『RIVER』、そして来年には『noise』が公開を予定している。

秋葉原が被写体として映されるとき、そこにはあの事件が影を落としているのである。今回取り上げる『ぼっちゃん』はまさしく事件の犯人、加藤智大を題材にした映画だ。

続きを読む

ホドロフスキー映画にも比肩する、磁場が違った世界としての沖縄「ウンタマギルー」

f:id:EAbase887:20180330015611p:plain

ウンタマギルー』(1989年)

 日本の映画界は1970年代に助手の採用を中止しました。それは邦画が斜陽になって、撮影所のシステムが崩壊してしまったからです。かつての撮影所は上下関係も厳しく、助手で入った若い人が先輩に技術を習い、監督や撮影、編集、美術といったそれぞれの部署で5年から10年修業して、やっと一人前になれた。撮影所は学校みたいなものでした。そのシステムが失われたことで、映画界へ入る道が絶たれてしまった若い人たちがたくさんいました。同時に、撮影所がなくなって映画人も仕事がなくなった。(「邦画の未来を託す映画人を生み出す」 日本映画大学学長・映画評論家 佐藤忠男インタビューより

沖縄がある種の異界であることを、例えば芸能や音楽の方面からうっすらと感じ取り続けている。

自分が振り返ってもTHE BOOMが沖縄音階に影響を受け「島唄」を作るに至ったことからCOCCOのデビュー。はたまたオレンジレンジのミクスチャーぶりとその後の外野からのパクリ問題による反発。仲間由紀恵から満島ひかりの表層。SPEED。安室奈美恵

もちろん映画でも異界としての沖縄は幾度も目にする。北野武ソナチネ』ではすべてを失い、自殺に至る生き死にの境界線上にある場所に選ばれる。前回取り上げた『ポルノスター』の豊田利晃監督も『I'm flash!』にて道理が通用しなくなる場所として描いている、

では早い段階で、沖縄という磁場を反映した映画はなんだったのか?1989年に公開された高嶺剛監督の『ウンタマギルー』がそうなのではないか。あの映画には琉球神話と本土、さらには在日米軍の視点までも絡まることで、磁場が違ってしまった空間としての沖縄がそのまま映像化されている。

続きを読む

日本語ロックとヒップホップの境界線『大和(カリフォルニア)』

ã大åï¼ã«ãªãã©ã«ãã¢ï¼ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

大和(カリフォルニア)』(2018)

 

まず最初に次回(次回の次回かも)予告だが、「路上の映画はいかにジャズやロック、ヒップホップと隣り合ったのか」みたいな内容を書くことを考えている。これは70年代から現在までの日本のインディペンデント系映画が、その核の音楽とどんな風にかかわり、その音楽ジャンルの何を見て自分の映画に選ぶにあたったかをとりあげるつもりだ。

現在はインディペンデント系映画とヒップホップとの隣接が語られることは少なくない。すでに日本語ヒップホップが様々な媒体で取り上げられるようになり、本来路上の彼らとまったく縁のないはずの評論家からほとんど知識のない自分みたいなものまでヒップホップを無視できなくなっている。

そこで宮崎大祐監督の「大和(カリフォルニア)」は「SR サイタマノラッパー」や「サウダーヂ」と公開前より比較され、ヒップホップの映画であると表明している。神奈川県の米軍基地近くの現実とヒップホップが表現する地元のリアルを繋ぎ合わせることを意識している。ところが実際には、ロックやアンビエントの印象が強い。

続きを読む

90年代終わり 渋谷路上の千原ジュニア『ポルノスター』

「ポルノスター 映画」の画像検索結果

 

『ポルノスター』(1998)Netflixにて再見

1950年代の映画黄金期以降、日本の映画業界は年々縮小傾向にありました。1970年代には、映画会社が撮影スタジオを経営し、スタッフや役者を直接雇用するというシステムが崩壊。映画人の多くがフリーランスとして活動しなければならなくなったのです。(中略)それまで、映画のスタジオシステムが機能していた時代は、映画会社に入社することで各部署に配属され、撮影や照明、美術といった制作現場に社員として入って行きました。彼らはその技術を現場の先輩達から学んでゆきましたが、スタジオシステムの崩壊によって、技術の継承は途絶えてしまったのです。(日本映画大学WEBサイトより

千原ジュニアがジャックナイフと呼ばれていたころは、今のような活躍をするとは考えられなかった。朝の情報番組にまで出るようになり、MCやひな壇で番組を作るようになった大人の芸人になった現在では、その頃はネタとして擦られるくらいの思い出になっている。当のジュニアもそんな時代を笑って観てるのだろう。

続きを読む

目にしながら認識しない現実『サウダーヂ』

 

www.youtube.com

“1970年代初頭、映画産業の斜陽によって各社は軒並み自社の撮影所を貸スタジオにして独立プロやテレビドラマ、CFの撮影もできるようにし、専属スタッフや俳優も解雇して撮影所システムは崩壊した。”(wikipedia映画スタジオ」)

 

『サウダーヂ』(2011) 

自分の地元周辺にイオンモールが出現した前後から駅前の商店街でもシャッターが目立つようになった。家から200m~500m周辺を散歩するとインド料理店(バングラデシュやネパールから来た方が運営している。)やタイ料理店も目立つようになり、工場近くのコンビニで買い物をしていれば東南アジア周辺から来た人々がその国の言葉で喋りながら飲み物を買っているのを目にする。

 

アジア周辺の様々な人々が身の回りで暮らしはじめているのが目に見えているのだが、その内実がどういうことかははっきりしない。たまにテレビのドキュメンタリーが地方で起きていることを取り上げることもあるが、その社会問題的な編集ゆえに壁の向こう側のことみたいにに見えてしまうことも少なくない。

 

現実に可視化していながらの認識しきれなさ。誰でも自分の住む地元だろうがどれだけ周りを認識できているのか。すぐそばの片隅に個人商店があることを知っているのか。そこで売っているから揚げの味を知っているのか。

 

続きを読む

現実と作品世界の境界から垣間見える路上の映画

「スタジオシステムが灰に消えたあとの路上映画録」立ち上げました。よろしくお願いいたします。インディペンデントの日本映画を中心とした、路上の映画について取り扱うブログです。以下は蛇足です。

 

続きを読む