スタジオシステムが灰に消えたあとの路上映画録

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終わってしまった、たけし映画のクリエイティブとビジネス『天才をプロデュース?』書評

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いまさらながら、映画とは国内でどう思われているのだろう? 自己実現の手段か、あるいはビジネスか。漠然と前者が信じられ、後者があいまいにされているのが本当のところだ。

特に映画のように大きなコストがかかるジャンルでは、実は作家的なものにこそ、作り続けていくのにプロデュースの必要があるのだと思う。

自分が最近クリエイティブとビジネスについて考えていたなか、ちょうどしっくりときたのが『天才をプロデュース?』だった。これは元オフィス北野の社長である森昌之氏が、北野武映画をプロデュースしてきたことをまとめた本だ。

北野武の映画作品は、おおむねファインアートなのだと思われていることだろう。ビートたけしとしてのTVタレント活動をコマーシャルなものであるとすれば、映画は自己表現を研ぎすませたものとして作られている、そう評価されやすい。

しかし実際には森昌之氏のプロデュースも大きい。本書では、かつて一介のTVディレクターだった彼が、北野武の映画が評価されていくとともに、自身も世界に通じる映画プロデューサーへと変貌していく過程がまとめられている。

そこには映画がファインアートとコマーシャルの双方を兼ねて制作されることについて、まっとうな姿勢があった。オフィス北野のトラブルにより、森が北野武と離れることになったいま読むと、むしろ映画に対する誠実さにあふれている。そして北野武との関係についていくつか感慨深くなる部分がある。

事故前のファインアート

北野武のフィルモグラフィで、最もファインアートらしいのはバイク事故以前の作品だろう。第2作『3-4x10月』から『みんな~やってるか!』までがそうだ。中でも『ソナチネ』をベストに評価する人は多い。後年、監督本人が「自殺を考えていた」というように、倫理や建前を引き剥がした荒涼とした風景が映されている。

森昌之は間近でファインとしての映画制作を観てきたことをこう話す。『3-4x10月』で「新しい映画が生まれていくと感じた」と評し、本書では「映画作家として確信した」とのことだ。

TVディレクター時代からたけしのコント作りに「映像的センスがあった」ことも評してもいる。だけどこの評価は、後の松本人志が同様の絵的な説明能力を周りに評価され、映画監督業へ進出していたことを思い出すと、「現場の印象ではわからないものだ」と思う。

こうして森は、可能な限り映画製作をフォローすることを誓う。けれど当時は国内で「トップの芸人が映画を撮ってみました」なんて評価から逃れ切れず、タレント活動を知らない英語圏が先に評価している状況だった。

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北野作品が海外での評価を獲得していった背景には、映画評論家のトニー・レインズの存在が大きかったことを本書では語っている。

レインズは香港のウォン・カーウァイらのようなアジア映画を発掘し、英語圏に紹介していた功績を持つ評論家だ。世界的な評価に繋がるきっかけに、非ヨーロッパ・アメリカの映画をちゃんと開拓する評論家の存在があったことを読みながら、一応はインディーゲームなどを紹介する仕事もある自分としては、評論家として仕事する意味について考えてしまうけれど。

森はレインズに感謝を示しながらも、海外における北野映画の評価に対し「イギリスの人は『イギリスが北野映画を見つけた』というし、フランスの人は『フランスが北野を見つけた』という。文化的には未だに植民地的な意識があるんだと思った」と冷ややかな距離を取っている。ここは読んでいると感情としては引っかかるところだけど、森のの姿勢が、あとの活動に大きく関わってくる。

バイク事故のあと、プロデューサー自身も変わっていた

ともあれ当時ほとんど黙殺されていた、北野武作品でもっともクリエイティブだった時期はバイク事故によって一端の区切りがついてしまう。

事故以前と以後の映画については、いまだに監督の死生観や現実観ばかりが注目されやすい。しかし本書を読むと、あの事件は森自身が「明確に映画プロデューサーになろうとした」というきっかけにもなり、北野作品の展開も大きく変わったそうだ。

ビートたけしを復帰させるために、森がはっきりと映画プロデューサーを指向してからは、映画制作が戦略的になっていったことがうかがえる。このあたりから、「プロデューサーの役割とは、監督のクリエイティブ面と興行のビジネス面をブリッジするもの」というスタンスを固めてゆく。

これはオフィス北野の運営という意味でもそうだが、『ソナチネ』をはじめ、当時の国内での評価が追い付いていなかった現状に対する憤りもあったようだ。

たとえば抽象的で(そして弛緩した)『Takeshi's』は、実は『ソナチネ』時代から構想があったそうで、北野武は事故後の復帰作品に本作を考えていたらしい。当時は『フラクタル』というタイトルでタクシー運転手が主人公だったという。

しかし森は企画にストップをかける。理由として「この企画は実験のための実験映画」だと語り、実に10年近く先送りにしていたとのことだ。彼らにとって映画製作がまったくのファインアートであったとするならば、ゴーサインを出していたであろう企画だが、当時はビートたけし復活の道筋を作るためにまったく別の企画を採用することにした。それが『キッズ・リターン』だった。

いまでは北野武の名作のひとつとして名高い『キッズ・リターン』だが、当時のフィルモグラフィとしては異色だったことも明かされている。というのも、事故以前の映画ではほとんど脚本を書かず、現場現場の即興や一発撮りで納めていくなんてスタイルだったからだ。つまり、とてもまともに映画を作ること自体が新鮮だったのだ。

青春映画の背景として、森は「当時の監督の企画としては、コマーシャルなものだった」と評し、「脚本を何度も打ち合わせした」という。

そもそも復帰当時のビートたけしはうまく喋ることも難しく、「当時はTV番組に出ていても上手く行かずイライラしてたい」そうで、これで映画の主演をやっても同じ問題が生まれるということで、ビートたけしが主演しなければ成立しない企画は見送ったという。そこで高校生を主人公とした案を採用したとのことだ。

森が企画に対して戦略的に動くようになってから、北野武のフィルモグラフィは明らかに海外市場を目指したものへ変わっていく。

このあたりから随所にオリエンタリズムを含めた描写も目立つようになる。ヴェネツィア映画祭で金獅子賞を受賞した『Hana-bi』がそうだし、『菊次郎の夏』もそんな気配がある。ハリウッドと共同して(といっても予算はアメリカのインディー映画くらいとのことだが)『Brother』を制作する。さらに日本の四季を積極的にとらえた『Dolls』など、ヨーロッパ市場を視野に入れた発信が目立つ。

映画に対する使命感

北野武がいちタレントから世界的な映画監督になった一方、森もまたいちTVディレクターからとても戦略的な、映画プロデューサーとして変貌していた。それもただ北野武作品をプロモーションするだけではなく、日本から世界の映画市場に発信しようと考える使命感も持つようになる。

その使命感を感じさせるのが『東京フィルメックス』だ。先述のように「ヨーロッパに発見され、評価されるだけではなく、 日本やアジア側から映画を発見、評価し、発信していく」ことを意図している。

森が映画祭を興す一方、オフィス北野ではアジア圏の映画監督と共同した作品も制作する。ここで製作に関わった監督も本物だ。『世界』『長江哀歌』の中国のジャ・ジャンクーや、イランから『少年と砂漠のカフェ』のアボルファズル・ジャリリなど、世界の映画祭でも高い評価を獲得してゆく作家たちと共同している。

森がこうした活動を行う理由には、「アジアの映画がヨーロッパでもてはやされていても、有象無象が集まってきてメイクマネーのために甘い言葉で囁いてくる。それで潰れていった監督も少なくない」ためだそうだ。

こうした森のスタンスはロカルノ映画祭で評価されており、本書出版後の2015年にはプロデューサーを評価するライモンド・レッツォニコ賞を受賞。これを持って北野武作品をプロデュースするだけではない、アジアの映画界を活性させる試みが評価されたのだとわかる。

映画はギャンブルじゃない

ここまでを読みながら、北野武をはじめ、自己表現が強い映画監督と共同するのは商業としてうまくいくのは難しくはないか? とも考えてしまう。ほかのプロデューサーの意見を見ても「映画製作はギャンブルみたいなもの」って発言は少なくはない。

だけど森氏ははっきりと「映画製作はギャンブルじゃない」と言い続けている。「映画で儲けるのではなく、損をしないということ」を意識しており、それができさえすれば少なくとも出資者は次の制作に繋がると語っている。

本書は2007年に出版されたものなので、2010年代以降『アウトレイジ』以降キャリアが変わった時期については言及されていない。なのでそこを補足すれば、作風の変化にはヨーロッパ市場において、アジア映画を売っていくことが難しくなった事情もあるそうだ。

2000年代の後半に起きた、リーマンショック危機による影響はヨーロッパ映画界にも打撃を与え、北野武のファインアートとしての映画も難しくなっていったそうだ。どれだけ海外映画祭で賞を取ろうとも、リンク先のインタビューでは「4本もリクープメントできない作品を続けてしまうと、監督が滅びてしまう」、「監督生命が、ひょっとしたらそこで絶たれてしまうんじゃないか」と厳しい認識で挑んでいる。

ちょうど『TAKESHI'S』~『アキレスと亀』の自己言及3部作の時期でもあり、興行収入も厳しい時期だった。それゆえに国内市場で収益を上げていく方向へシフトする。それが『アウトレイジ』シリーズと『龍三と七人の子分たち』という、これまでと違った路線に変わった理由のひとつらしい。

おそらくは北野武映画の終わりに

蓮實重彦の言葉だったと思うが、北野武が(表向きは)まったく映画を観ていないことを取り上げつつ、その作風を評価して「しかし本当の意味でこの監督は映画を愛することはできるのだ」と語ったという。同様に、プロデューサーの森の活動にも本当の意味での映画への思いを感じる。

だけど本当の映画愛が、2018年に起きたオフィス北野の内紛にも関係したとすれば皮肉めいている。東京フィルメックスへの出資なども決裂の理由に挙げられていたのを見てそう感じた。

森昌行との決裂は、やはり北野武映画の終わりにように思える。現在、北野武は、もともと映画のために作られたシナリオが元にした小説『首』を上梓し、執筆へと方向を変えている。北野映画のフィルモグラフィとは、監督自身が各時代で自己破壊的な行動をとるたびに、はっきりと変わっていくのだが、まさかオフィス北野との決別が最後の自己破壊となり、おそらくはフィルモグラフィの終わりになるとはやはり思いもしなかったのだ。

しかし見る側がそう感じていても、当の森本人は今回の決裂をいずれ起きることだったようにも感じているところがある。本書では「たけしさんがもっとよいプロデューサーに出会うことがあればそれは良いこと」と何度か語ってもいる。

2020年11月現在、北野武の新作は発表されていない。 

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