90年代終わり 渋谷路上の千原ジュニア『ポルノスター』

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『ポルノスター』(1998)Netflixにて再見

1950年代の映画黄金期以降、日本の映画業界は年々縮小傾向にありました。1970年代には、映画会社が撮影スタジオを経営し、スタッフや役者を直接雇用するというシステムが崩壊。映画人の多くがフリーランスとして活動しなければならなくなったのです。(中略)それまで、映画のスタジオシステムが機能していた時代は、映画会社に入社することで各部署に配属され、撮影や照明、美術といった制作現場に社員として入って行きました。彼らはその技術を現場の先輩達から学んでゆきましたが、スタジオシステムの崩壊によって、技術の継承は途絶えてしまったのです。(日本映画大学WEBサイトより

千原ジュニアがまだジャックナイフと呼ばれていたことは、今や朝の情報番組にまで出るようになり、MCやひな壇で番組を作るようになった大人の芸人の今からすればネタとして擦られるくらいのことになっているし、当のジュニアは少なくともそのころを笑って観てるのだろう。

だが20年前、人見知りで、客席をにらみつけるようなたたずまいでジャックナイフと呼ばれていた当時は本当に切実だったはずである。心に茨を持つ少年みたいな歌があったがさすがにザ・スミス千原ジュニアの距離はあまりに遠い。しかし差はない。

けれど、なにをどうすれば人生の段階を進めるか見失い、ただただ成功体験から離れて長い時間がたち、心に不信感だけが居座っている青年が何もかも敵視し、刃物と殺意を持ち街を歩く姿は、そのまま90年にたびたび報じられた少年事件、あるいはその後の国内で起きた無差別な連続殺傷事件を想起するだろう。『ポルノスター』は不信感だけで彩られた時期の切実さが張りつめている。

その意味で今見直すと、「ジュニアがこのあとすべらない話で成功して結婚できてよかった」…とさえ思う一方、現実には松本人志のような先輩がフックアップ(ここでは才能の有無ではなく理解を促す人間であればいい)することもなく本当に成功体験を持てず不信感を抱え、本当に犯罪に及ぶまでに追い詰められた数多くの、著名な事件の当事者でも、そうでない事件を起こした青年たちはいたはずである。その青年たちはおそらく人生の段階を不信感のなかで止めるだろう。そしてやはりこの映画の主人公があとで朝の情報番組でコメントをだせるようになるとは到底想像できないので、この時期を抜け出し段階を進めたことが奇跡のように思えるだろう。

 

モッズコートをまとった青年(千原ジュニア)が目いっぱいナイフを入れたバッグを抱え、渋谷の街を歩く。人々に肩でぶつかろうが一向に気にする気配はない。街にはヤクザの下っ端としてデートクラブのオーナー・上条(鬼丸)が親分の要求に苦渋を舐めさせられている。彼はもとはチーマーとして一帯を束ねる人間だった。上条がモッズコートの青年と出会うとき、彼を利用して親分を殺そうとするのだが…物事は思うようにいかない、青年の暴走はあらぬ方向へ行き、無為な殺人や傷害が生まれる。その時上条は…

 

ふたりの主人公と並走して90年代のカルチャーが映される。日本で80年代英国でおきたクラブミュージックのムーブメント、起こるはずのないセカンド・サマーオブラブを待ち望み、イビサを夢見るヒロイン。スケートボードで並走する少年たち。ゲーセンでくたびれ突っ伏す『鉄拳3』の筐体。このころでもまだいるベタでもよかった角みたいなモヒカンのパンクス。

 

『ナインソウルズ』や松本大洋原作の『青い春』、『クローズZERO』や豊田利晃監督の処女作。自分がガキのモードで自主映画の処女作っぽさや青年ぽさということは、山本寛の記事や「ゲド戦記」の宮崎吾郎監督作品で言及したが、本作は監督本人や千原ジュニアがもっとも切実だった時期もあり、そして渋谷そのものというタイミングも合わさり、独特の現実と作品世界が混ざり合ったあいまいな瞬間を映している。以後、独自の作品世界を構築するなかでこうまである現実も絡んだ映画は撮れてはいない。処女作特有の衝動や自意識と、ジャックナイフと呼ばれたころのジュニアが共振したただ一度しか撮れない時間が映っている。

 

殺伐としているだけではない。古谷実作品みたいに、いい感じにヒロインの極楽とんぼ加藤と結婚したことで有名な緒方凛とジュニアが触れ合うことでなにか成功体験や承認をえられるかもしれない瞬間がたびたび訪れる。恋によって変わる瞬間。でもそれは手に届きそうなところで無になる。何も得られないジュニアは本当に人生の段階を変えるチャンスもなく映画は終わる。血まみれのジュニアがこの後に人生の段階を進め、番組を締める腕のある芸人として人生が続いていくとは想像しにくいだろう。

本当に不信感で彩られた時期は苦しすぎる、何かの機会でフックアップされることは本当に大きなことなんだ、何かあればニュースで報じられた彼らそれぞれも彼らなりの「すべらない話」や「IPPONグランプリ」のような場所でバカリズムに悔しい思いをさせられつつなにか段階を進めたはずなんだ、誰か救ってくれ、そして救えるようであってくれ。そういう映画なんだ。

 

 

ポルノスター

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